森のようちえんが夏休みに入ってから、気持ち的に、なるべくSNSのためにPCに向かわないようにしようと思っていたので、発信が極端に少なくなりました。でも、『根っこになるはず』は紹介した方がいいと思ったので、明日から夏休みが始まる気持ちで、読んでください。
ぴっぱら通信369号より転載
根っこになるはず...
りかこ
月見草が花開く瞬間を見ましたか?あのフワッと花開く姿を見る楽しみをみんなで味わえて、7年来の念願かない幸せな時間でした。まだ見てない方は是非、夏休みの夕暮れ時に見て下さいな。
さあ、もう夏休み。春からの林での日々は新鮮で沢山のことを感じながら、一歩一歩進んできました。とりわけ、自然がぐんと身近になり、人工的な物がないことの心地よさが林にはあります。
こどもも大人も初めは戸惑いがあったものの、少しずつ馴染んで行き、やはり何もないところから遊びを見つけて行くことは難しいことも実感!頭をフル回転させ身も心も研ぎ澄ませ、私自身の緊張感も半端ない。
ロープやひも、かなづち、ナイフ、そんな生活道具の有難さが身に沁みます。昔遊びの存在も有難い。物のない時代はこんな風にして遊びが作られていったのかと感心してしまいます。しかも、集団で遊べるようになっている。草のおうち作り、草を刈りながら何人かで作った迷路、石を積んでのおうち作り。そこから生まれていくワクワク感、遊びの広がり、人間関係。自分で何かを切り拓いていくことで自信を身に着けて行く様を目の当たりにさせてもらいました。
虫探し、葉っぱや花摘み。勿論、ぴっぱら小屋の方が落ち着く子らもいて、その気持ちも理解している。それでもこどもらは、置かれた状況でなんとかしようと自分と向き合ったり、大人を頼ったりしながら日々、進んで行く。自分で何かを選んで行くその姿はあっぱれとしか言いようがありません。
先週二つの講演会に参加しました。「どんぐり方式」の糸山先生から聞いた「0歳から5歳までが一番ゆっくりした自由がある」という言葉に共感しました。その大事な時間を区切らずに遊びきることで満足を積み重ねること、安心を積み重ねることが人間としての根っこを作るためには欠かせないのだということを改めてかみしめました。
そして、「頼り合える社会への構想」という慶応大教授の井手先生の話。「頼る先が一杯あることが幸せ」という始まり、「困った人を助ける」という発想の社会は格差を生み、「自己責任」という名のもと、弱者へのバッシングさえ起こる「みすぼらしい社会」になっている。
こどもが教育を受けられなくなるほどの格差を無視しているこの社会。人間の誇り、尊厳を守るためには幼児期を大事にすること。大事に過ごすと、意欲があり、社会に貢献したいと思える人間が育つというような内容(経済や政治の話しなので、ここはほんの一部)でした。
二つの話とぴっぱらの日々が重なって、今やっていることに勇気をもらいました。「一番ゆっくりした時間を持つこども達」その傍らで日々奮闘する母達はすごいぞ!(父も!)一杯悩んで考え続けて、大きくなろう。今この日々が、こどもだけではなく、家族として、あなた自身としての根っこになるはず。皆さん楽しい夏休みをお過ごし下さい。
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ぴっぱら通信366号から転載
なっつ記
あなたの気持ち私の気持ち
...「ちょっとだれかー!」とハンモックで遊んでいたこどもたちがよんでいる。「どうしたー?」と行「ちょっとだれかー!」とハンモックで遊んでいたこどもたちがよんでいる。「どうしたー?」と行ってみると、Nが2人ほど乗ったハンモックにロープをぐるぐるしばりつけている。困った様子のRやT、H。「Nが邪魔するんだよ」ハンモックに乗りたいのにロープが邪魔で乗れないらしい。一方、横ではNが眉間にしわをよせ、ものすごく怖い顔でハンモックにいる子たちを睨んでいる。邪魔しているようには見えない。「N怒ってるのね、ハンモックに乗りたかったの?」と聞くと「うん」と深くうなずいた。乗りたいのに「誰もゆずってくれないのが辛かった」ということとな。「そうかそれは辛かったなぁ。だからってロープをしばりつけてもなぁ。」“乗りたい”“どうして譲ってくれないんだ”ということは伝わらんよな〜。「乗せてくれないか」って相談してみようよ、Nは譲ってくれなくて“困ってた”みたいよ、とほんとうに伝えたかったことをNとその周りで遊んでいる子たちとお互いに確かめた。ある日の昼過ぎ、Kとわたしでご飯を食べる。田んぼでの野球で盛り上がる声が聞こえる。「楽しそうだねえ」「そうだねぇ」なんて話しながらお味噌汁をすする。HやKの弾んだ声。その中にNちゃんの泣いている声。「お、Nちゃん泣いてるね、どうしたかなぁ」とつぶやく。「あぁそうだね、Nちゃん、悔しかったんじゃない?」とK。“泣いている”ことに気づき、Nちゃんの気持ちに寄り添う。「そうだね、なんかうまくいかなかったのかもね。」嬉しいことも悲しいことも、いろんなことが起きる一日。そんな中で、一緒に過ごしている仲間の声やきもちに思いを巡らす時間が増えた。“いろんな人”がいる環境の中だからこそ、こうして気持ちを通わせ、そのなかのひとりである“あなた”と“わたし”お互いを知りあう時間がこれからもっと増えていく気がしている。その瞬間の中で自分自身を思いっきり生きているこどもたち。そのそばにいるわたし。そこで起きることひとつひとつに泣いたり笑ったり。そんな“気持ち”をぎゅっと抱きしめながら大切に過ごしていきたい。
親子ぴっぱらぴっぴ通信NO34から転載
雑草と土と野菜と子育てと
めい記
みんなでじゃがいもと大豆を植えました。ぴっぱらでは、“自然農”の考え方を取り入れて、野菜を育てています。“自然農”は雑草の力を借り、野菜の力を生かして育てる方法です。雑草の根は土を耕してくれ、土の中の微生物を育ててくれるので、野菜に日光が当たるよう、野菜の高さに合わせて刈り、そこに敷くという方法をとります。
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草を敷くことで、その下にミミズや微生物が育ち、病原菌や害虫がはびこりにくくなり、地中に水や温かさを蓄えてくれるマルチの代わり(よく畑に黒いビニール等を敷いているのをみたことがありませんか?それのことです!)にもなります。そしてその草はそのまま土に還るのです。また、今回じゃがいもを大豆と一緒に植えたように野菜の特徴を生かし、混植することで互いに虫避けになったり、栄養素を分かち合うようになるというのです。
私も自然農を知るまでは、雑草は野菜が育つのに邪魔なものだと思っていました。しかし、まさかこんな役割を持っていたなんて!!となんだか雑草さんに謝りたい気持ちになります。そして、雑草や野菜達が“本来持っている力”を生かして育てていくことは、手間暇はかかるけれど、とても気持ちがよく、雑草や野菜の力をそのまんまもらった気持ちになります。“手間暇かけること”、目の前にあるものの“本来持っている力”に目を向けること、大切にしていきたいなと思います。そして、それは、子どもと向き合う感覚となんだか似ているなぁと思うのです。
今回みんなで植えたじゃがいも達が、どんな風に育っていくのか、楽しみです。ぴっぴは月に2回なので、なかなか畑にみんなで行こうということは少ないのですが、朝や帰りにチラッと様子をみてあげてくれると嬉しいです♪ついでに草を、プチっとちぎってそこに敷いてあげてください。それは土の栄養になって、また返ってくるからねっ♪
小学生ぴっぱら通信NO111から転載
小ぴ母O記
小ぴで、森の恵みをいただきました。何だか、子どもが大きくなってもやっていそうな私たち。いつか、森で山菜採りで迷子になる〜?と、お宝発見が楽しくて、ついつい夢中で奥に進みたくなる…。ワラビ、一晩灰汁を抜いてこれから鰹節とお醤油につけますよ〜ほんのり黄緑色と渋茶の蕨(わらび)が美しいです
小ぴ母T記
山菜採り、ウド、コシアブラ、ヨモギ。
羊毛を洗う。ひたすらウドの天ぷらしていたのに、その写真が無い…。 女の子たち作のきんぴら。 ウドの天ぷら きなこクッキー。 ポテチ。寒さ感じつつ、美味しいものたくさん。
ぴっぱら通信363号より転載
みんなすごいぞ
卒園おかあさんTさん記...
幼ぴに久々に来たのに、手をつないでくれたり、膝にのりにきてくれたり、たくさんお話ししてくれて、みんなめんこい。焚き火の近くにいたら、Kちゃんがやってきて、 「焚き火の煙は美人のところに行くんだよ」「ええっ!そんな素敵なこと誰に聞いたの?」 「おとうちゃん」私の聞き間違いかもしれないけど、そういうことに。煙たいのが嬉しくなるじゃない。「H、それミミズじゃなくてヒルだから、さわってると噛まれるよ」にも、目がパチクリ。ヒルなんてめったに見ないから。さわってる子どももめったに見ないから。パン屋さんごっこ。 「私たち(N&Aちゃn)パン職人」 「じゃあ、私はなにがいいかな?お店の人?」 「看板やって!(N)」パン持ってポーズしておりました。Rのカバン屋さん。「大きいカバン、小さなカバン、ステキなカバン、おしゃれなカバン、かわいいカバン、どれがいいですか?」 「かわいいカバンお願いします」(N&Aちゃん)「(葉っぱの)フワフワ、外側がいいですか?内側がいいですか?」 「外側でお願いします」林の中で「漆の木は危ないから気をつけた方がいい。虫に刺されたらヨモギつけてね。ヨモギはあの辺りにはえてるよ。これは食べられるよ(ウドのこと)、カタツムリは木の下にいるよ…」子どもたちに、たくさんいろんなことを教えてもらって、すごいなーと驚きいっぱい。みんなの当たり前は、一生役に立つ素晴らしい知識。 何度行っても、面白い。みんなすごいぞ.
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写真は、5月20から21日のお泊りキャンプ
小学生ぴっぱら通信NO110号から転載
遊び惚ける りかこ記...
「あ〜疲れがとれた」「あ〜ゆっくりした」…小ぴに来るこども達からそんなコトバを聞くようになったのはいつからだろうか。今時の小学生は忙しいらしい。疲れている?何らかの息苦しさを感じているのか?20数年前に鷹栖に学童保育を立ち上げた時、子ども達が「遊び惚ける」時間をもつための場作りをしたかった。昔はごく普通にあったこども達がその辺で遊び惚けていた世界を、わざわざお金をかけて作らねばならなくなって、その状況は今も変わらずに続いている。「遊び惚ける」というコトバ自体死語に近いのかもしれない。「遊ぶ」ことからどんどん遠ざけられているこども達は一体どんな感覚で今を生きているのだろう。それぞれがしたいように過ごすぴっぱらの時間、したいことが見つからずにうろうろしつつ、そのうち何かを見つけて行く。何もしないということも保証されている。私達は、あなたが望むようにここにいたらいいさと思っている。家庭と学校ともう一つの居場所。ここで何かを感じて味わって、ふっと力が抜けたり、満足したり…些細なことがきっかけでまた少し前に向かうことができればいいと思っている。受け入れてもらって、安心して、遊んで満足して…あまりに当たり前のことがまだまだ必要な小学生達。年4回のお泊り会のうちの1回目が終わった。ゆったりと一日が始まり、タンポポ染め、100匹のカエル探し、サッカー、バトミントン、卓球、おやつ作り、山菜の天ぷら、ご飯作り、ジャガイモ植え、釣り、夜の散歩…一泊二日の間にあちこちで沢山の遊びが繰り広げられる時間をみんなで共に過ごして、また少し一人一人との距離が近くなった。
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ぴっぱら通信NO361号より転載
なっつ記
これがぴっぱらに住む私の一日
...いつの間にかハルゼミが鳴いている。朝が来た。また今日も1日が始まるんだなぁ〜と布団から起き出る。最近よくカッコウも鳴いているなぁ。もう4つある季節のうち、春がひとつ過ぎようとしているんだと思うと、この仲間での春をまだまだ楽しみたい気持ちがさらに湧き出てくる。
朝、林へ向かう中、「今日はキアゲハの幼虫を見つけたい!」というNは、一足早く虫あみとカゴを手に林の中へ走っていった。荷物を抱え林を歩く。「そっか〜Nちゃんは今日はちょうちょじゃなくて幼虫を見つけたいのね〜。おっと!ちょっと荷物が重たくて腕がもげちゃいそう〜もう少しだ〜」と言うと、後ろを歩いていたYが「持つか?」とすかさずわたしの手から荷物をどんどん持っていく。背中には自分のリュックもあるのに、その顔は嬉しそうにニコニコしていた。林に着きリュックを降ろす。「ありがとうね、Y〜!」「鬼ごっこしよ〜!!追いかけてごらん!!」とイヒヒと笑いながらYが走り出す。「よっしゃー!待てYー!」とわたしも走り出す。朝の何気ないシーンだけれど、みんな毎日少しずつ大きくなっているんだなぁ。そんな小さな出来事の中にさえ、こども達の近くで毎日その幸せを感じられる。その瞬間をともに過ごせるわたしはまったく嬉しく幸せな気持ちでいっぱいだ。
今日は珍しく帰りの送迎車に乗った。出発するやいなや車の中では、「Fが持ってるカエルは、Hのだった〜〜」とHが大号泣している。どうやらFが持ってた水槽の中のカエルはHが捕ったカエルらしい。大号泣のHをIが心配そうな顔でのぞき込んでいる。少し経ち「あ!H靴履いてないね、これは困ったなあ〜。後ろに積んであるといいなあ」とわたしがつぶやく。そのうちHがウトウトし始め、IがHの顔をのぞき込む。寝たのかなあとHを思う優しい顔のI。すると「Hの靴、後ろに積んであるといいね。」とIが微笑む。「そうだね」と言葉を交わしまもなく、でっかい号の中は静かになった。「さぁ着いたよ〜。また明日いっぱい遊ぼうね〜!」
涼しくなり田んぼのカエルが鳴きだす夜が来る。窓を開けて、少し冷たい空気をからだいっぱい吸い込み一息つき、今日もいい日だったと眠りにつく。これがぴっぱらに住むわたしの1日。
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ぴっぱら通信361号より転載
カタツムリみたいだなぁ
じゅんき記
今日もまた一日。さよならの時間に、真っ黒に日焼けしたみんなの顔が寄りあつまって、絵本に見入っている。「カタツムリみつけたあ!」「おにごっこしたあ!」「たんぽぽでなが−いストロ−つくったのぉ」「ここでクイズ〜!」 今日あったことを話す、どこか誇らしげな声。一度きりのそれぞれのその日を、又過したんだなあ。そうして一日が終わる。
新しい、出会いがあった。泣いた。怒った。大笑いした。目には見えないくらいにだけど、またひとまわり、おっきくなった。明日はなにをしよう。どこへむかっていくだろう。身の赴くままでいい。一歩一歩をたしかめあうように、ゆっくりゆっくりと進んでいく。カタツムリみたいだなあ。ゆっくりゆっくっりと、進んでいく。
とにかく、楽しく仕上がったみたいです。是非!身に行ってください。
感想もお聞かせください!
野に放て 自然の中で子は育つ』(写真展)
2017/5/19(金)〜5/31(水)
こども冨貴堂
旭川市7条通り8丁目買物公園
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5月16日(火)10時から、ぴっぱらでどんぐり方式勉強会を
行います。誰でも参加できますよ。
さて、土曜日、『どんぐり方式』の勉強会を昼はぴっぱらで、夜は体験会をパスタ屋さんの旭荘でやりました。
どんぐり方式とは『12歳までは、たった週に2問の良質の算数文章問題を絵を描きながら考えるだけで深い思考力・学力がつきます。それ以外はできるだけ外で、自分の好きな遊びをすればいい』という考え方の勉強方式です。。...
勉強会も体験会も10人ほどの人達が集まりました。
勉強会では、『どんぐり倶楽部』のHPと、それに関わる動画をみながら、そのエッセンスを学び、自己紹介を兼ねて、それぞれの子供や宿題、勉強について感じていることを話し合いました。「子供が学校の宿題を解くときに、絵を描こうとしたら『学校では絵描かないでしょ。絵を描いちゃダメ』と言ってしまった事を反省しました」と、言っていたお母さんが居ました。
夜の体験会は、みんなで「山もりのうんこ」や「ふんころがし」「うんころがし」の問題を、一生懸命描きながら、考えて解いてみました。たまたまいた子供たちも「私もやりた〜い」と参加しました。『やりたくなる勉強』『勉強と感じないうちに楽しみながら学力が育つ』というのは、気持ちのいいもんだなと感じました。
5月16日(火)10時からは、幼児ぴっぱらをやっている時に、ぴっぱらで勉強会を
行います。誰でも参加できますよ。
写真は、体験会が終った後に写真を撮り忘れ、写真を撮るために、わざわざ考えてるふりをしてもらった、やらせ写真です。
ぴっぱら通信359号より転載
おとじろう記
誰がやるんだろう
...23年前にここに移り住んで、まだ小さかった子どもたちとパレットヒルズに行きました。当時は、『ヘビ山』と呼ばれ、植林された木も池も構造物も何もありませんでした。ただただ、気持ちの良い風に揺れる牧草を家族で独り占めするのが気持ちよかった。家の前の道路をまっすぐ登り、桜並木を抜けると小高い丘があり、道なき道を登ると、林のてっぺんに神社が建っていたという場所があり、そこには日本酒の空瓶がゴロゴロ転がっていました。「何もしないと、この危険な割れた瓶はずっとここにあるんだなぁ。誰がやるんだろう」と思いながら山を下りました。 去年、その町有林をみんなが楽しめる林にしようと、役場の職員と森林組合とぴっぱらのスタッフとで『パレットヒルズと歩く会』を作り、林道を作ったり、巣箱をかけたりしました。そして、この春は、ぴっぱらワークの一環として、お父さん、お母さん達とゴミの片づけと林道の整備をしました。割れた瓶のカケラを土からほじくり出しながら、「誰がやるんだろう」と思ったことを思い出していました。人の手が入らない良さもあるけれど、自然をみんなで自分たちの財産にしてゆくことの気持ちの良さも感じていました。おかげさまで、ぴっぱらの気持ちの良い新たな居場所が又ひとつ生まれました。
ぴっぱら通信358から転載
春の林のおさんぽ
なっつ記
今年度、新しい日々が始まって1ヶ月が過ぎようとしている。
ぴっぱら林をはじめ、町有林やその近くの林へ毎日出かけているけれど、なんだか林へむかうこどもたちの背中がいきいきしているように感じる。
日を増すごとに。「今日はなにが見つかるかなぁ〜」とこどもたちの背中から聞こえてくるようで一緒に歩く私もとってもわくわくしてくる。
林の中では小枝を集め焚き火をしている。フクジュソウ、ふきのとう、ヤチブキ、ミズバショウと春が咲き始める。そのひとつひとつをこどもたちは楽しみながら、面白いと思うことに夢中になって過ごしている。
小川に橋を渡したいと倒木を切り、みんなで運んで橋をかけたり、イタドリの笛を鳴らしてみたり。林を抜けてパレットヒルズへ行くとTとKは芋虫のような実を山盛り集め、「わらじだ、わらじ〜!」とその実をどうもわらじ虫と名付けたようでとても真剣な顔でその実を両手いっぱいに集めている。
「袋に入れて持って帰る?」「うん!そうだね!」と満足げな顔でぴっぱらへ向かった。午後小屋周りで鬼ごっこを始めみんなが一気に逃げていく最中、Rがフリースの腕をまくりおでこに汗をかきながら、キラキラした顔でみんなを追いかけまわしている。その姿に思わず「R、かっこいいなぁ〜。いい時間だなぁ」と声がもれだす。林へお散歩に出かけるようになってからとてもゆったりしたこころ豊かな時間が流れています。
考えることが好きな人
小学校に通うようになった子が「勉強がきらいだ」と言うのを聞くと、「もったいないなぁ」と思っていました。何かを知ること、わからないことがわかることは、楽しいことのはずなのに、と。かといって、「勉強が好きな子」になって欲しいかというと、なんかそれも違う気がしました。「勉強が好きになる」ことと『生きる力』は何か違う気がするからです。ましてや『生きる力』の種類は、生活する場所や時代によって全然違う気もするので、そうなるとますますわけわからなくなってしまうのです。が、この間、いい言葉を思いつきました。「考えることが好きな人」という言葉です。反射や感覚で生きていると、きっとどこかで行き詰まってしまう。そんな時、考える事ができれば、その状況を変えることができると思うのです。「考えることが好き」になれれば、きっとそれは大切な『生きる力』になると思えたのです。
こんなことを考えるようになったのは、糸山さんという人が考案した『どんぐり方式』という勉強の仕方があることを知ってからです。人は考える時には、「言葉」ではなく、必ず『視覚イメージ』を使っています。考える力の源は、視覚的にイメージする力で、その養成が、頭の思考回路を増やし、考える力の源になるというのです。
『どんぐり方式』を知って、いろんなことが腑に落ちました。何かをやろうとしても、何かのイメージがなければ、悩むことも考えることもできません。それを埋めるために、本を読んだり、話を聞いたりするけど、実際に体験することで得る『視覚イメージ』にはかないません。そこでは五感で感じる『感覚』と共に「気持ちいい」とか「違和感がある」といった『感情』が伴った深い『視覚イメージ』が出来ます。そして、「情報の量や状況の変化が格段に多い自然の中で、自分のやりたい遊びを思い切りやることで『視覚イメージ』が作られ、それが思考回路を増やし、『学力の素』がどんどん作られる」と糸山さんは語ります。
工房で仕事をしながら、外で毎日遊ぶ子供達を見て、『いいぞ、いいぞ』と思って見ていました。彼らは日々、『考える力』を蓄えているのです。それはきっと、学力、そして生きる力に深くつながっています。マイナス10度を超える外でお弁当を食べるこ
とを楽しんでいる彼らとそんな環境を日々作っている親とスタッフ達を『いいぞ、いいぞ』と思いながら見ている『いいぞ、いいぞ』には、そんな意味があったのです。
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