森のようちえんが夏休みに入ってから、気持ち的に、なるべくSNSのためにPCに向かわないようにしようと思っていたので、発信が極端に少なくなりました。でも、『根っこになるはず』は紹介した方がいいと思ったので、明日から夏休みが始まる気持ちで、読んでください。
ぴっぱら通信369号より転載
根っこになるはず...
りかこ
月見草が花開く瞬間を見ましたか?あのフワッと花開く姿を見る楽しみをみんなで味わえて、7年来の念願かない幸せな時間でした。まだ見てない方は是非、夏休みの夕暮れ時に見て下さいな。
さあ、もう夏休み。春からの林での日々は新鮮で沢山のことを感じながら、一歩一歩進んできました。とりわけ、自然がぐんと身近になり、人工的な物がないことの心地よさが林にはあります。
こどもも大人も初めは戸惑いがあったものの、少しずつ馴染んで行き、やはり何もないところから遊びを見つけて行くことは難しいことも実感!頭をフル回転させ身も心も研ぎ澄ませ、私自身の緊張感も半端ない。
ロープやひも、かなづち、ナイフ、そんな生活道具の有難さが身に沁みます。昔遊びの存在も有難い。物のない時代はこんな風にして遊びが作られていったのかと感心してしまいます。しかも、集団で遊べるようになっている。草のおうち作り、草を刈りながら何人かで作った迷路、石を積んでのおうち作り。そこから生まれていくワクワク感、遊びの広がり、人間関係。自分で何かを切り拓いていくことで自信を身に着けて行く様を目の当たりにさせてもらいました。
虫探し、葉っぱや花摘み。勿論、ぴっぱら小屋の方が落ち着く子らもいて、その気持ちも理解している。それでもこどもらは、置かれた状況でなんとかしようと自分と向き合ったり、大人を頼ったりしながら日々、進んで行く。自分で何かを選んで行くその姿はあっぱれとしか言いようがありません。
先週二つの講演会に参加しました。「どんぐり方式」の糸山先生から聞いた「0歳から5歳までが一番ゆっくりした自由がある」という言葉に共感しました。その大事な時間を区切らずに遊びきることで満足を積み重ねること、安心を積み重ねることが人間としての根っこを作るためには欠かせないのだということを改めてかみしめました。
そして、「頼り合える社会への構想」という慶応大教授の井手先生の話。「頼る先が一杯あることが幸せ」という始まり、「困った人を助ける」という発想の社会は格差を生み、「自己責任」という名のもと、弱者へのバッシングさえ起こる「みすぼらしい社会」になっている。
こどもが教育を受けられなくなるほどの格差を無視しているこの社会。人間の誇り、尊厳を守るためには幼児期を大事にすること。大事に過ごすと、意欲があり、社会に貢献したいと思える人間が育つというような内容(経済や政治の話しなので、ここはほんの一部)でした。
二つの話とぴっぱらの日々が重なって、今やっていることに勇気をもらいました。「一番ゆっくりした時間を持つこども達」その傍らで日々奮闘する母達はすごいぞ!(父も!)一杯悩んで考え続けて、大きくなろう。今この日々が、こどもだけではなく、家族として、あなた自身としての根っこになるはず。皆さん楽しい夏休みをお過ごし下さい。
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ぴっぱら通信366号から転載
なっつ記
あなたの気持ち私の気持ち
...「ちょっとだれかー!」とハンモックで遊んでいたこどもたちがよんでいる。「どうしたー?」と行「ちょっとだれかー!」とハンモックで遊んでいたこどもたちがよんでいる。「どうしたー?」と行ってみると、Nが2人ほど乗ったハンモックにロープをぐるぐるしばりつけている。困った様子のRやT、H。「Nが邪魔するんだよ」ハンモックに乗りたいのにロープが邪魔で乗れないらしい。一方、横ではNが眉間にしわをよせ、ものすごく怖い顔でハンモックにいる子たちを睨んでいる。邪魔しているようには見えない。「N怒ってるのね、ハンモックに乗りたかったの?」と聞くと「うん」と深くうなずいた。乗りたいのに「誰もゆずってくれないのが辛かった」ということとな。「そうかそれは辛かったなぁ。だからってロープをしばりつけてもなぁ。」“乗りたい”“どうして譲ってくれないんだ”ということは伝わらんよな〜。「乗せてくれないか」って相談してみようよ、Nは譲ってくれなくて“困ってた”みたいよ、とほんとうに伝えたかったことをNとその周りで遊んでいる子たちとお互いに確かめた。ある日の昼過ぎ、Kとわたしでご飯を食べる。田んぼでの野球で盛り上がる声が聞こえる。「楽しそうだねえ」「そうだねぇ」なんて話しながらお味噌汁をすする。HやKの弾んだ声。その中にNちゃんの泣いている声。「お、Nちゃん泣いてるね、どうしたかなぁ」とつぶやく。「あぁそうだね、Nちゃん、悔しかったんじゃない?」とK。“泣いている”ことに気づき、Nちゃんの気持ちに寄り添う。「そうだね、なんかうまくいかなかったのかもね。」嬉しいことも悲しいことも、いろんなことが起きる一日。そんな中で、一緒に過ごしている仲間の声やきもちに思いを巡らす時間が増えた。“いろんな人”がいる環境の中だからこそ、こうして気持ちを通わせ、そのなかのひとりである“あなた”と“わたし”お互いを知りあう時間がこれからもっと増えていく気がしている。その瞬間の中で自分自身を思いっきり生きているこどもたち。そのそばにいるわたし。そこで起きることひとつひとつに泣いたり笑ったり。そんな“気持ち”をぎゅっと抱きしめながら大切に過ごしていきたい。
親子ぴっぱらぴっぴ通信NO34から転載
雑草と土と野菜と子育てと
めい記
みんなでじゃがいもと大豆を植えました。ぴっぱらでは、“自然農”の考え方を取り入れて、野菜を育てています。“自然農”は雑草の力を借り、野菜の力を生かして育てる方法です。雑草の根は土を耕してくれ、土の中の微生物を育ててくれるので、野菜に日光が当たるよう、野菜の高さに合わせて刈り、そこに敷くという方法をとります。
...
草を敷くことで、その下にミミズや微生物が育ち、病原菌や害虫がはびこりにくくなり、地中に水や温かさを蓄えてくれるマルチの代わり(よく畑に黒いビニール等を敷いているのをみたことがありませんか?それのことです!)にもなります。そしてその草はそのまま土に還るのです。また、今回じゃがいもを大豆と一緒に植えたように野菜の特徴を生かし、混植することで互いに虫避けになったり、栄養素を分かち合うようになるというのです。
私も自然農を知るまでは、雑草は野菜が育つのに邪魔なものだと思っていました。しかし、まさかこんな役割を持っていたなんて!!となんだか雑草さんに謝りたい気持ちになります。そして、雑草や野菜達が“本来持っている力”を生かして育てていくことは、手間暇はかかるけれど、とても気持ちがよく、雑草や野菜の力をそのまんまもらった気持ちになります。“手間暇かけること”、目の前にあるものの“本来持っている力”に目を向けること、大切にしていきたいなと思います。そして、それは、子どもと向き合う感覚となんだか似ているなぁと思うのです。
今回みんなで植えたじゃがいも達が、どんな風に育っていくのか、楽しみです。ぴっぴは月に2回なので、なかなか畑にみんなで行こうということは少ないのですが、朝や帰りにチラッと様子をみてあげてくれると嬉しいです♪ついでに草を、プチっとちぎってそこに敷いてあげてください。それは土の栄養になって、また返ってくるからねっ♪
小学生ぴっぱら通信NO111から転載
小ぴ母O記
小ぴで、森の恵みをいただきました。何だか、子どもが大きくなってもやっていそうな私たち。いつか、森で山菜採りで迷子になる〜?と、お宝発見が楽しくて、ついつい夢中で奥に進みたくなる…。ワラビ、一晩灰汁を抜いてこれから鰹節とお醤油につけますよ〜ほんのり黄緑色と渋茶の蕨(わらび)が美しいです
小ぴ母T記
山菜採り、ウド、コシアブラ、ヨモギ。
羊毛を洗う。ひたすらウドの天ぷらしていたのに、その写真が無い…。 女の子たち作のきんぴら。 ウドの天ぷら きなこクッキー。 ポテチ。寒さ感じつつ、美味しいものたくさん。
ぴっぱら通信363号より転載
みんなすごいぞ
卒園おかあさんTさん記...
幼ぴに久々に来たのに、手をつないでくれたり、膝にのりにきてくれたり、たくさんお話ししてくれて、みんなめんこい。焚き火の近くにいたら、Kちゃんがやってきて、 「焚き火の煙は美人のところに行くんだよ」「ええっ!そんな素敵なこと誰に聞いたの?」 「おとうちゃん」私の聞き間違いかもしれないけど、そういうことに。煙たいのが嬉しくなるじゃない。「H、それミミズじゃなくてヒルだから、さわってると噛まれるよ」にも、目がパチクリ。ヒルなんてめったに見ないから。さわってる子どももめったに見ないから。パン屋さんごっこ。 「私たち(N&Aちゃn)パン職人」 「じゃあ、私はなにがいいかな?お店の人?」 「看板やって!(N)」パン持ってポーズしておりました。Rのカバン屋さん。「大きいカバン、小さなカバン、ステキなカバン、おしゃれなカバン、かわいいカバン、どれがいいですか?」 「かわいいカバンお願いします」(N&Aちゃん)「(葉っぱの)フワフワ、外側がいいですか?内側がいいですか?」 「外側でお願いします」林の中で「漆の木は危ないから気をつけた方がいい。虫に刺されたらヨモギつけてね。ヨモギはあの辺りにはえてるよ。これは食べられるよ(ウドのこと)、カタツムリは木の下にいるよ…」子どもたちに、たくさんいろんなことを教えてもらって、すごいなーと驚きいっぱい。みんなの当たり前は、一生役に立つ素晴らしい知識。 何度行っても、面白い。みんなすごいぞ.
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写真は、5月20から21日のお泊りキャンプ
小学生ぴっぱら通信NO110号から転載
遊び惚ける りかこ記...
「あ〜疲れがとれた」「あ〜ゆっくりした」…小ぴに来るこども達からそんなコトバを聞くようになったのはいつからだろうか。今時の小学生は忙しいらしい。疲れている?何らかの息苦しさを感じているのか?20数年前に鷹栖に学童保育を立ち上げた時、子ども達が「遊び惚ける」時間をもつための場作りをしたかった。昔はごく普通にあったこども達がその辺で遊び惚けていた世界を、わざわざお金をかけて作らねばならなくなって、その状況は今も変わらずに続いている。「遊び惚ける」というコトバ自体死語に近いのかもしれない。「遊ぶ」ことからどんどん遠ざけられているこども達は一体どんな感覚で今を生きているのだろう。それぞれがしたいように過ごすぴっぱらの時間、したいことが見つからずにうろうろしつつ、そのうち何かを見つけて行く。何もしないということも保証されている。私達は、あなたが望むようにここにいたらいいさと思っている。家庭と学校ともう一つの居場所。ここで何かを感じて味わって、ふっと力が抜けたり、満足したり…些細なことがきっかけでまた少し前に向かうことができればいいと思っている。受け入れてもらって、安心して、遊んで満足して…あまりに当たり前のことがまだまだ必要な小学生達。年4回のお泊り会のうちの1回目が終わった。ゆったりと一日が始まり、タンポポ染め、100匹のカエル探し、サッカー、バトミントン、卓球、おやつ作り、山菜の天ぷら、ご飯作り、ジャガイモ植え、釣り、夜の散歩…一泊二日の間にあちこちで沢山の遊びが繰り広げられる時間をみんなで共に過ごして、また少し一人一人との距離が近くなった。
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ぴっぱら通信NO361号より転載
なっつ記
これがぴっぱらに住む私の一日
...いつの間にかハルゼミが鳴いている。朝が来た。また今日も1日が始まるんだなぁ〜と布団から起き出る。最近よくカッコウも鳴いているなぁ。もう4つある季節のうち、春がひとつ過ぎようとしているんだと思うと、この仲間での春をまだまだ楽しみたい気持ちがさらに湧き出てくる。
朝、林へ向かう中、「今日はキアゲハの幼虫を見つけたい!」というNは、一足早く虫あみとカゴを手に林の中へ走っていった。荷物を抱え林を歩く。「そっか〜Nちゃんは今日はちょうちょじゃなくて幼虫を見つけたいのね〜。おっと!ちょっと荷物が重たくて腕がもげちゃいそう〜もう少しだ〜」と言うと、後ろを歩いていたYが「持つか?」とすかさずわたしの手から荷物をどんどん持っていく。背中には自分のリュックもあるのに、その顔は嬉しそうにニコニコしていた。林に着きリュックを降ろす。「ありがとうね、Y〜!」「鬼ごっこしよ〜!!追いかけてごらん!!」とイヒヒと笑いながらYが走り出す。「よっしゃー!待てYー!」とわたしも走り出す。朝の何気ないシーンだけれど、みんな毎日少しずつ大きくなっているんだなぁ。そんな小さな出来事の中にさえ、こども達の近くで毎日その幸せを感じられる。その瞬間をともに過ごせるわたしはまったく嬉しく幸せな気持ちでいっぱいだ。
今日は珍しく帰りの送迎車に乗った。出発するやいなや車の中では、「Fが持ってるカエルは、Hのだった〜〜」とHが大号泣している。どうやらFが持ってた水槽の中のカエルはHが捕ったカエルらしい。大号泣のHをIが心配そうな顔でのぞき込んでいる。少し経ち「あ!H靴履いてないね、これは困ったなあ〜。後ろに積んであるといいなあ」とわたしがつぶやく。そのうちHがウトウトし始め、IがHの顔をのぞき込む。寝たのかなあとHを思う優しい顔のI。すると「Hの靴、後ろに積んであるといいね。」とIが微笑む。「そうだね」と言葉を交わしまもなく、でっかい号の中は静かになった。「さぁ着いたよ〜。また明日いっぱい遊ぼうね〜!」
涼しくなり田んぼのカエルが鳴きだす夜が来る。窓を開けて、少し冷たい空気をからだいっぱい吸い込み一息つき、今日もいい日だったと眠りにつく。これがぴっぱらに住むわたしの1日。
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ぴっぱら通信361号より転載
カタツムリみたいだなぁ
じゅんき記
今日もまた一日。さよならの時間に、真っ黒に日焼けしたみんなの顔が寄りあつまって、絵本に見入っている。「カタツムリみつけたあ!」「おにごっこしたあ!」「たんぽぽでなが−いストロ−つくったのぉ」「ここでクイズ〜!」 今日あったことを話す、どこか誇らしげな声。一度きりのそれぞれのその日を、又過したんだなあ。そうして一日が終わる。
新しい、出会いがあった。泣いた。怒った。大笑いした。目には見えないくらいにだけど、またひとまわり、おっきくなった。明日はなにをしよう。どこへむかっていくだろう。身の赴くままでいい。一歩一歩をたしかめあうように、ゆっくりゆっくりと進んでいく。カタツムリみたいだなあ。ゆっくりゆっくっりと、進んでいく。
とにかく、楽しく仕上がったみたいです。是非!身に行ってください。
感想もお聞かせください!
野に放て 自然の中で子は育つ』(写真展)
2017/5/19(金)〜5/31(水)
こども冨貴堂
旭川市7条通り8丁目買物公園
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5月16日(火)10時から、ぴっぱらでどんぐり方式勉強会を
行います。誰でも参加できますよ。
さて、土曜日、『どんぐり方式』の勉強会を昼はぴっぱらで、夜は体験会をパスタ屋さんの旭荘でやりました。
どんぐり方式とは『12歳までは、たった週に2問の良質の算数文章問題を絵を描きながら考えるだけで深い思考力・学力がつきます。それ以外はできるだけ外で、自分の好きな遊びをすればいい』という考え方の勉強方式です。。...
勉強会も体験会も10人ほどの人達が集まりました。
勉強会では、『どんぐり倶楽部』のHPと、それに関わる動画をみながら、そのエッセンスを学び、自己紹介を兼ねて、それぞれの子供や宿題、勉強について感じていることを話し合いました。「子供が学校の宿題を解くときに、絵を描こうとしたら『学校では絵描かないでしょ。絵を描いちゃダメ』と言ってしまった事を反省しました」と、言っていたお母さんが居ました。
夜の体験会は、みんなで「山もりのうんこ」や「ふんころがし」「うんころがし」の問題を、一生懸命描きながら、考えて解いてみました。たまたまいた子供たちも「私もやりた〜い」と参加しました。『やりたくなる勉強』『勉強と感じないうちに楽しみながら学力が育つ』というのは、気持ちのいいもんだなと感じました。
5月16日(火)10時からは、幼児ぴっぱらをやっている時に、ぴっぱらで勉強会を
行います。誰でも参加できますよ。
写真は、体験会が終った後に写真を撮り忘れ、写真を撮るために、わざわざ考えてるふりをしてもらった、やらせ写真です。
ぴっぱら通信359号より転載
おとじろう記
誰がやるんだろう
...23年前にここに移り住んで、まだ小さかった子どもたちとパレットヒルズに行きました。当時は、『ヘビ山』と呼ばれ、植林された木も池も構造物も何もありませんでした。ただただ、気持ちの良い風に揺れる牧草を家族で独り占めするのが気持ちよかった。家の前の道路をまっすぐ登り、桜並木を抜けると小高い丘があり、道なき道を登ると、林のてっぺんに神社が建っていたという場所があり、そこには日本酒の空瓶がゴロゴロ転がっていました。「何もしないと、この危険な割れた瓶はずっとここにあるんだなぁ。誰がやるんだろう」と思いながら山を下りました。 去年、その町有林をみんなが楽しめる林にしようと、役場の職員と森林組合とぴっぱらのスタッフとで『パレットヒルズと歩く会』を作り、林道を作ったり、巣箱をかけたりしました。そして、この春は、ぴっぱらワークの一環として、お父さん、お母さん達とゴミの片づけと林道の整備をしました。割れた瓶のカケラを土からほじくり出しながら、「誰がやるんだろう」と思ったことを思い出していました。人の手が入らない良さもあるけれど、自然をみんなで自分たちの財産にしてゆくことの気持ちの良さも感じていました。おかげさまで、ぴっぱらの気持ちの良い新たな居場所が又ひとつ生まれました。
ぴっぱら通信358から転載
春の林のおさんぽ
なっつ記
今年度、新しい日々が始まって1ヶ月が過ぎようとしている。
ぴっぱら林をはじめ、町有林やその近くの林へ毎日出かけているけれど、なんだか林へむかうこどもたちの背中がいきいきしているように感じる。
日を増すごとに。「今日はなにが見つかるかなぁ〜」とこどもたちの背中から聞こえてくるようで一緒に歩く私もとってもわくわくしてくる。
林の中では小枝を集め焚き火をしている。フクジュソウ、ふきのとう、ヤチブキ、ミズバショウと春が咲き始める。そのひとつひとつをこどもたちは楽しみながら、面白いと思うことに夢中になって過ごしている。
小川に橋を渡したいと倒木を切り、みんなで運んで橋をかけたり、イタドリの笛を鳴らしてみたり。林を抜けてパレットヒルズへ行くとTとKは芋虫のような実を山盛り集め、「わらじだ、わらじ〜!」とその実をどうもわらじ虫と名付けたようでとても真剣な顔でその実を両手いっぱいに集めている。
「袋に入れて持って帰る?」「うん!そうだね!」と満足げな顔でぴっぱらへ向かった。午後小屋周りで鬼ごっこを始めみんなが一気に逃げていく最中、Rがフリースの腕をまくりおでこに汗をかきながら、キラキラした顔でみんなを追いかけまわしている。その姿に思わず「R、かっこいいなぁ〜。いい時間だなぁ」と声がもれだす。林へお散歩に出かけるようになってからとてもゆったりしたこころ豊かな時間が流れています。
考えることが好きな人
小学校に通うようになった子が「勉強がきらいだ」と言うのを聞くと、「もったいないなぁ」と思っていました。何かを知ること、わからないことがわかることは、楽しいことのはずなのに、と。かといって、「勉強が好きな子」になって欲しいかというと、なんかそれも違う気がしました。「勉強が好きになる」ことと『生きる力』は何か違う気がするからです。ましてや『生きる力』の種類は、生活する場所や時代によって全然違う気もするので、そうなるとますますわけわからなくなってしまうのです。が、この間、いい言葉を思いつきました。「考えることが好きな人」という言葉です。反射や感覚で生きていると、きっとどこかで行き詰まってしまう。そんな時、考える事ができれば、その状況を変えることができると思うのです。「考えることが好き」になれれば、きっとそれは大切な『生きる力』になると思えたのです。
こんなことを考えるようになったのは、糸山さんという人が考案した『どんぐり方式』という勉強の仕方があることを知ってからです。人は考える時には、「言葉」ではなく、必ず『視覚イメージ』を使っています。考える力の源は、視覚的にイメージする力で、その養成が、頭の思考回路を増やし、考える力の源になるというのです。
『どんぐり方式』を知って、いろんなことが腑に落ちました。何かをやろうとしても、何かのイメージがなければ、悩むことも考えることもできません。それを埋めるために、本を読んだり、話を聞いたりするけど、実際に体験することで得る『視覚イメージ』にはかないません。そこでは五感で感じる『感覚』と共に「気持ちいい」とか「違和感がある」といった『感情』が伴った深い『視覚イメージ』が出来ます。そして、「情報の量や状況の変化が格段に多い自然の中で、自分のやりたい遊びを思い切りやることで『視覚イメージ』が作られ、それが思考回路を増やし、『学力の素』がどんどん作られる」と糸山さんは語ります。
工房で仕事をしながら、外で毎日遊ぶ子供達を見て、『いいぞ、いいぞ』と思って見ていました。彼らは日々、『考える力』を蓄えているのです。それはきっと、学力、そして生きる力に深くつながっています。マイナス10度を超える外でお弁当を食べるこ
とを楽しんでいる彼らとそんな環境を日々作っている親とスタッフ達を『いいぞ、いいぞ』と思いながら見ている『いいぞ、いいぞ』には、そんな意味があったのです。
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空き地のような場所
かわごん記
今年度も新しい1年がはじまりました。新しいメンバーが9名加わり、30名近くなった小学生ぴっぱら。2升炊きの羽窯1つではもうご飯が足りず、羽窯2つを使って昼食を作っています。人数が多いとむかえる大人の緊張感もありますが、それ以上に子どもたちがどんどんつながって、子どもの世界がどんどん広がっていく感触がありました。午後のひと時、H(6年)が一人水たまりで泥をいじっていると、Y(3年)がちょこんと座り泥をこねはじめました。泥をこねていると思ったら後から来た、R(4年)は砂金を見つけると言っている。そこには大人が仕掛ける名前の付くような遊びではないディープな遊びが無数に広がっているようでした。ぴっぱらが子どもたちにとって安心できる『空き地』のような場所になっているようで、とても幸せな気持ちになりました。ゆっくり、のんびりと。只、その世界で遊びこむ。そんな時間を今年度も大切にできればよいと考えています。
]]>今日から、新年度の「小学生ぴっぱら」が始まるよ〜。といっても、おとじろうは、土曜日の午前中は工房で仕事してるけどね。この前、中学生のKちゃんが、工房で剣を作りに来て「学校の工作で、課題の椅子が早く出来て、後は好きなものをつくれた。これはぴっぱらのおかげなんだ」と言っていた。といっても、その時おとじろうはいなくて、リュウちゃんからその話を聞いたんだ。けど、おとじろうはすごいうれしかった。小学生ぴっぱらが始まった頃、低学年だったKちゃんは、「やることない」と言って、よく工房にやってきて、何か作っていた。その集中力とやりたさには、いつも驚かされていた。
「楽しいこと」「面白いこと」に勝るものはなし!。といっても、「楽しくない」「面白くない」という時間もとっても大事なんだ。そう感じられることが素敵なことなんだ。テレビやゲームのスイッチを入れることは簡単だ。それがないぴっぱらには、この時、この瞬間にしか味わえない極上の「楽しい」「面白い」がいっぱい隠れているんだ。すぐに、楽しめなくてもいい、無理に探さなくてもいいけど、隠れてるものを探すのも楽しんでね〜。
仕事はしてるけど、おとじろうもリュウちゃんも、バタコさんも、「面白い」「楽しい」を探してるみんなと関わりながらいっぱい楽しませてもらうよ。
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ドングリ倶楽部勉強会終わりました。突然の案内にも関わらず、初めて「どんぐり」を知ったという人も含めて、30人近くのお母さんたちが集まりました。集まってくれた皆さん本当にありがとうございます。
自己紹介の中で、あるお母さんがいっていた「本当は勉強が好きなはずなのに」という言葉にうなずきました。「考えることがめんどくさそうなんです」という言葉に胸を痛めました。
おととし生まれた孫が、体を動かしたり、言葉を発したりしながら幼児になってゆく姿をみて、改めて、人間は「成長したいんだ」という湧き上がる『何か』に突き動かされて育つのだと感じます。そして、その多くは「面白そう」が、きっかけとなります。
...その『何か』を信じ、その『何か』を邪魔しない環境を作り、「面白い」をきっかけに体や心が動きやすくする方法が「どんぐり方式」の考え方のような気がしています。
すでに『どんぐり問題』をやっている子どもの絵をみて、お母さん達が「おもしろい〜」「すてき〜」と叫んでいました。「おもしろい〜」がきっかけになることが、本当に大事と思います。「どんぐり方式」をやるやらないではなく、知ったことで「心が楽になったり」違和感を感じてたことを考えたりするきっかけになってくれればと思います。
次回は5月13日(土)の小ぴの時にやろうと思います。
その他、近いうちに、幼ぴをやっている時にもやろうと思っていますが、こちらは日にちが決まり次第連絡します。
写真は、勉強会が終った後にみんなで雑談をしているところです。
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きっと生涯の宝になる
じュんき記
“海賊”と名乗るおとこたちが、今日も雪原をうろうろ行ったり来たりしている。大事に抱えてるバドミントンラケット。あれはどうやら鉄砲らしい。T、H、R、M。敵は、時々通る排雪のトラック。「まずい、また来たぞ!隠れろっ」なんとも真剣な顔。最近とくに、自分たちだけでどんどんあそび出すようになったもんだ。
HとYのままごとあそびに、Tがひょうひょうとついていく。くる日もくる日も、それはもう一日がかり。ここ数週間、雪原での昼ごはんを、一度たりとも欠かさずやってのけた。もちろん氷点下。なにがそこまでそうさせたのかは正直僕にもわからない。でもきっと、おもしろかったんだろうなあ。
工作場でオープンした焼き鳥屋「やきと」。細長い木っ端をだるまストーブの上に直に置き、ジュウジュウと焼く匂いはなんだかほんとに食欲をそそる。多少の煙が充満し、店内はまさに焼き鳥屋状態。店員は手際がいい上に気が利く。「お客さん、ビールおかわりありますよ」「運転でしたらタクシー呼んどきますから!」威勢のいいにじさんたち。
どこまでもどこまでも、深まってゆくこどもたちの世界。自分たちで生み出すからこそ、おもしろい。おもしろいからこそ、そこでの出会いは本物となっていく。本物の出会いは、きっと生涯の宝になる。ひとりひとりが今何と出会っているのか、どこへ向かおうとしているのかを、僕はしっかりと見届けていたい。それができる最良の距離感を自分なりに探しながら、こどもたちの輪の中に入っていったり、入らずそっと眺めていたりしている。みんな歩幅は違う。だけど確かにその足で、自分の力で少しずつ前へと進んできたんだ。これからだってずっとそうだ。僕が大切にしたいことは、それらの邪魔をしないこと。必要だと感じたときに、ちょっと背中を押したり撫でたりしてあげること。そしてなにより、その見極めをけしておこたらないこと。さあ、冒険の匂いがする。今日も宝探しのはじまりだあ
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インドア じュんき記
曇り時々雪。あいにくのお天気で、ぴっぱら小屋からまったく出ようとしない仲良し4人組。かな、ゆう、ふうこにゆりの。僕がどう誘っても「寒いからイヤ」の一点張りで、小屋にこもったまま、4人は畳の上で毛布にくるまり、楽しそうにおしゃべりばかりをしている。もっと外に出てあそべばいいのに… はたから見ていて、ついそんなことを言いたくなったりもする。
しかしどうだ、よく見ていると、4人のおしゃべりときたら本当に楽しそうで、なんだか“いい時間”を過ごしているのだ。学校で流行っているという手遊びが白熱しだし、いつの間にか「ジュンキ、ジュンキ、ジュンキッキィ〜」となにやら不思議な旋律の名曲が作詞作曲され、そのうちにありあわせの段ボールとガムテープをつかったホッケー大会が爆裂する。といった具合に、あの狭い畳の空間で、彼女たちならではの世界が次から次へと展開されていくのだ。これはむしろすごいことだぞ。僕にはとても思いつかない遊びばかりなもんで、いやはや頭が下がった。インドア尽くしではあったが、これもぴっぱらだからこそできる楽しみ方のひとつなのだろう。いや待てよ、そもそもあの小屋を「インドア」と呼んでしまっていいものか。(笑)
それはさておき、自分たちのための2泊3日を、自分たちなりに満喫して帰っていく姿がとてもあっぱれで、僕も嬉しかった。
かまくらで カワゴン記
氷点下12℃の中そうたと2人かまくらで寝る。サラサラした雪は山をつくることには苦労させられたがサクサクと穴が掘れた。そうたが立ち上がれて、大人と子どもが2人で横になれるほどの大きさのかまくらをつくった。かまくらは大きすぎても寒い。
そうたは風向きを考え、入り口の場所を掘り、穴の中にはランタンを置く台が出来ていた。黙々と掘っているようでいて随所にみられる工夫が面白い。
銀マットの上に寝袋を敷き、湯たんぽを忍ばせて眠る。1日中かまくらを作っていた疲れで僕もそうたも朝の7:00までぐっすり眠ることができた。
なぜかまくらに泊まるのか?。そこにはできるか?できないか?やってみないとわからないことに挑戦する楽しさがある。そしてかまくらの中で朝を迎えるとどこか誇らしい気持ちになる。男のロマンというやつかもしれない。来年もきっと挑戦するのだろう。
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りかこ記
愛おしい時間
年が明け、ぴっぱらの日常が始まりました。毎年この時期からこどもたちはぐっと成長を見せ、全体的に落ち着いてきます。こどもは一年のサイクルの中で自分を生きることに必死です。そばにいる私達大人は「ハラハラドキドキ」しながらもその時々のよい距離感を保ちながら傍にいます。三月までのこの時期、一日一日がこれまで以上に貴重で愛おしい時間になります。みんなでその時間を存分に味わいましょう。
トエックの研修に行ってきました
年明け早々に徳島のフリースクールトエックの研修に行ってきました。「聴き合う場の作り方」というテーマで二日間のワークショップ。毎月一回お母さん達と行っている「お話会」。当たり前のようにやっているこの時間を私はちゃんとできているのだろうか?「聴き合う」ってどういうことだったかな〜とちょっと復習したくなりました。参加してみて、その場を仕切る人の雰囲気や、その人がその時間をどういう場にしたいのかという意志が伝わっているどうかでその場が決まり、集まっている人達の空気や、真剣さがその場を作って行くのだと改めて感じました。「聴き合う」という文化の尊さが今になって心に沁みています。他の誰かと共感し合うこと、それによって聴いていた人が癒されたり、学びになったりもする。意見や想いは違っても受け止め合うということ。その人の気持ちに介入しないということ。それは時間がかかることだけれど、その世界を知っているかどうかで随分、他者と自分との関わりが変わっていくような気がします。こういった文化が広がることが、人の心の平和、世の中の平和にも繋っていくと思ったりもします。
森のようちえん支援の動き
トエックから帰って間もなく、今度は民進党道議の主催で行われた「森のようちえん」を支援するための勉強会でぴっぱらの実践報告をしてきました。ぴっぱら以外でも5か所の団体からの報告があり、最後にはどこでも資金的に困っているという課題が話されました。「森のようちえんフォーラム」に参加した道議の方がその必要性を感じ、すでに補助金制度を作っている長野や鳥取に学ぼうと、道の担当職員を交えての勉強会。何かが動き出していることを実感し、また自分達だけではないことに、心強さを感じられた時間でした。次回は2月3日、長野県で制度作りに関わった職員が講師で来ます。早速鷹栖の担当職員にも参加して頂く運びになりました。「一歩動き出すと何かが変わる」。鷹栖に住みだして何度も味わってきたことをまた味わわせてもらえるんだな〜。これを若い人達と味わうことができるのは幸せだな〜と思います。「森のようちえん」が普通に選択肢の一つとして認知されること、親の負担減と、働く人の安心があり、持続可能な場になっていくことを願います。皆さんもこの勉強会に参加してみませんか?
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を今週の金、土、日とやります。是非、足をお運びください
作・赤玉文太
「Return the favor 」(リターン ザ フェイバー)
柳田生命科学研究所。ここを訪れる客は、いわゆるスピリ
所長の意図は? そして彼女が研究所にやってきた理由とは…
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CAST
松下音次郎(旭川ステージワーク)
三上和世(劇団TomTom-Kiror)
三橋とら(フリー)→※28日夜、29日昼、夜は声のみの出演
長谷周作(劇団東京鈴木区)
山本千草(フリー)
会場
練庵(旭川市2・3仲通り9丁目、山口二条ビル2階)
チケット
前売り 1500円 (当日1700円)
開演時間は以下の通りです。
27(金)19:00
28(土)13:00 、 17:00
29(日)13:00 、 17:00
上演時間は、休憩なしの、約70分〜80分です。
開場は、開演の30分前。
客席は30と限りがありますので、何日の昼とか夜とか言ってもらえると
有難いです。
電話での問い合わせ 080-5582−4346(おとじろう)
じュんき記
身の赴くままに
年が明けて、久しぶりに会うこどもたちがどこか落ち着いているように見える。なにがあったんだろう。それはよくわからないけど、4月のはじまりには思いもよらなかった雰囲気を感じる。いや、相変わらずといえばもちろんそうなのだ。落ち着かない時もあれば、それぞれによく笑い、よく怒り、よく泣き、まあみんないたって相変わらずだ。ただ、なんというか、ひとりひとり、くっきりしてきた。芯が太くなってきたとでもいうか。それと、この仲間たちでつくる生活全体の空気が、だいぶ出来上がってきたのだろう。とうとう今年度も、この段階がやってきた。いよいよ始まる、一年間の最終ステージだ。ここからまた、これまでにはなかったようなドラマがどんどん生まれていく。大人もこどもも、自分らしさを開け放ち、身の赴くがままに踊りだすこの季節。さあ、みんなでぴっぱらしよう!共に生きよう。この道を走り抜けよう!
耳を澄ませて
雪の上にねっころがって空を見ると、びっくりするくらいしんと静かで、なんだかどきっとする時がある。地球はまわってるんだなあ、とか、自分もその一部なんだよなあ、とか、あ、俺の心臓うごいてる、とか。忘れそうになっていたことをはっと思い出すような感じ。そうして、一息ついてるうちに、あー、なんか俺あわててたんだなあ、とか、おこってたんだなあ、とか、そんなことをふと思う。自然の大きさをみれば、人間の騒がしさなんてちっぽけなもんだ。耳を澄ましてみても、遠くの方で覚えのある声がかすかに聞こえるばかり。山も、空も、林もみんなしんと静かで、僕たちの全部をすっぽりと包んでくれている。あー、穏やかだ。周りがやかましいと思ってたのは、自分がやかましかったからなんだなあ。遠くの方でかすかな声が呼んでいる。「じュんきー、あそぼーよぉ!」よし、そろそろ行くか。むっくりと起き上がって、手を振り返す。
写真は昨年末のパラパラ祭りとキャンドルナイト
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乳児ぴっぱら通信NO27から転載
めい記
今年も存分雪遊び
今日はぴっぱら小屋の裏で雪遊び。寒かったためか、雪はサラサラでキラキラでとってもきれい。寒いのはつらいけど、こんな景色が見れるんだよな〜となんだかうれしくなりました。こどもたちは坂を見るなり、まずは登り滑る滑る。Dくんは同じコースを何度も何度も滑り、かなり速いスピードで滑る滑る!「ぼくはね、パパみたいに頭がいいんだよ」となんだか探求者の様でした。坂の下では、ソリすべりをしたい母のTちゃんとは裏腹に、穴を掘りたいとMくん。「母不完全燃焼!」とTちゃん。「あるよね〜」と笑い合いながら、「ヨシ!じゃあ一緒に掘ろう!」と私はスコップを取りに行く。そして、穴を掘っていると、次々にお母さん達が来てくれ温泉づくりになっていた。そこへRちゃんが網のかごを持ってきてくれた。かごに雪を入れ振ってみるとサラサラとした雪が降ってくる。「これは上質な温泉ができそうだ!」その横ではMちゃんが雪玉を作っている「何売っているんですか?」と聞くと、「アイスクリームです。」雪の中でのアイスクリームは極上だね!
雪はいくらでも遊びを生み出せ、最高の遊び場だ!みんなで過ごすとまたより一層楽しく、遊びが繋がり、広がっていく。みんなで一緒に同じ遊びをするわけではなく、それぞれで遊んでいるんだけど、なんだか一緒に遊んでいる感じが残るのもまた不思議!冬はついつい家にこもりがちになるけれど、北海道ならではの雪遊び!存分に楽しむぞ〜‼そして、気付けば今年も終わりに近づいてきましたね。今年も一年お世話になりました。1月の乳児ぴっぱらは、30日(月)なので1カ月近く空いてしまいますが、皆さん良いクリスマスとお正月をお過ごしください♪年明け、また元気に会えることを楽しみにしています♪
ぴっぱら通信341から転載
「いや、まだ怖いわ」
じュんき記
「屋根、のぼってもいいかい?」耳打ちするりかこさん。「いや、まだ怖いわ」僕はそっけなく即答した。分厚く乗ったぴっぱら小屋の雪。時々、降ろさないといけない。こどもたちは雪下ろしを一緒にやるのが大好きだ。ただ、濡れた小屋の屋根はとてつもなく滑る。大人でも容易には歩けない。軒下の積雪も低い今時期に、こどもがのぼるのはまだちょっと怖いと、僕は思った。でも、りかこさん曰く、Nは雪下ろしがやりたくてしょうがないらしい。除雪のプロとしての血が騒ぐのだろうか。そんなNの様子もつゆ知らず、僕はりかこさんにそっけなく「いや、まだ怖いわ」と一言いっただけだった。それで話は終わった。と、思っていた。...
そのすぐ後だ。裏に回ると、小屋の屋根につながるツリーハウスに、Nをはじめたくさんのこどもたちがよじのぼり、今にも雪下ろしが始まろうとしていた。その真ん中には、りかこさんの姿が見えた。僕の視点からすれば、屋根のぼりは怖い。でも、りかこさんの視点は、きっと違ったのだろう。「なにかうまく工夫をすればこどもでもやれる」という判断をしたのであれば、僕は安心して見てられると思った。そんなことを思いながら眺めていると、ふいに、りかこさんが一言いった。「じュんきー、変わってくれないかい?」 ……ん、僕がやるんですか?! 一瞬思考が止まった。そして重要なことを思い出した。りかこさんは高い所がとんでもなく苦手なんだ。とはいえ、こどもたちはもうやる気まんまんだ。とりあえず僕も急いでツリーハウスの上に登った。
「えーと、どうしようか」。面白いことに、屋根の上から見渡すと、また違った見え方がした。はじっこの一部屋の屋根はそんなに高くないなあ。のぼっても大丈夫そうだ!上で立ちさえしなければ安全にやれると思い、「みんな、一個だけ大事なお願いがある!」と言うと、間髪入れずにKやYが、「ふざけない!押さない !! けんかしない !!!」と、みっつもよっつもお願いを先読みして言い放つ。みんなちゃんとわかっている。この子たち大丈夫だ、と、いろんなことを思い直した。
そうして、屋根の雪下ろしは楽しい朝のひとときとなり、みんな大満足のうちに終わった。いやあ、面白かった。いい汗かいた。最初、「いや、まだ怖いわ」で終わろうとしていた話が、とりあえずツリーハウスに登ってみると、まったく違う見え方が生まれ、その先にしかない“物語”へとつながっていった。こどもたちの“やりたい”っていう声に、大人の目線からすれば断る理由はいくらでも出てくるんだ。でも、そこですぐに線を引いてしまわずに、もう一足、こどもたちの世界に歩み寄ってみる。今回、そのことの大切さを教えてくれたのは、高いところがとんでもなく苦手なりかこさんだった。
「きょうはたのしかった」
Mちゃん母記
昨日は仕事に行く前に少しだけ、遊びたかった気持ちを叶えにぴっぱらへ。付き合ってくれたMと後から来てくれたNちゃん。遊び慣れてる子ども達についていくように一緒に遊ぶ。パレットヒルズにも行ってみる。久しぶりに来た。冬の景色って幻想的でなんとなく寂しさが漂う。あーそれが思うようには写真に納まらない。わっせわっせと少し雪をこいで登ったところで仕事に行く時間に。わかってはいたけれど、すっかり意気消沈の我が娘。私がいるとどうしても甘えたくてグズグズになる。その気持ちをズバリ言い当て「はやくしごとにいきなさーい」とKちゃん。その時その瞬間の気持ちに向き合う難しさ。その後どん底まで落ちたけど、自分で切り替えて遊びだしたらしい。その話を聞いて、うんそれでいいんだって思った。自分がどんな気持ちでどうその時間を過ごすのかを自分で決められたんだね。それができたからかな。「きょうはたのしかった」と一日の終わりに言っていた
乳児ぴっぱら通信26号より転載
「愛を蓄えて」
めい記
ともしが1才になり、急に歩けるようになった。そして、気付けば一人で車のおもちゃで遊んでいたり、私の真似してほうきで遊んでいたり。私が家を掃除している間もあっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら、一人で過ごしている彼。「あれ!?私ともしといながらこんなに片づけ出来ちゃった!?」となんだか変な違和感も感じつつ、彼の成長を嬉しく感じました。気付けばあっという間だったな〜。自分の時間が無くなったことに、不自由を感じたりしていた私ですが、こんなことならもっと可愛がってあげればよかったな〜と思う今日この頃。
彼が産まれて1年。ただただ泣き・おっぱいを飲み・おしっこウンチをし・寝て、何をするにも誰かの助けのもとで生きてきた彼。最近、私の傍から離れ、自分の世界を広げては、また私の所へ戻ってくる。そして私の存在を確認すると、またすたすたと遊びに行く。そんな彼を見ていると、あの片時も離れたくないという時間は、「ぼくは愛されている」という安心感をぐっとぐっと溜め込む時間だったのかな〜と今になれば思うのです。...そして、それは人が生きていく上で、一番大切なものを蓄えている時間なのではないのかと。きっとこれから、どんどん自分の世界を広げて、一歩づつ、ゆっくりと私から離れていく彼に私ができることは、今この彼との時間を目いっぱい楽しんで、一杯愛してあげることなんだな。と思うのです。
乳児ぴっぱらの子ども達も幼稚園に行き出した子や、後数カ月で幼稚園に行き出す子たちがいます。みんなお母さんの愛をいっぱい蓄えて、大きくなり、少しづつ、お母さんから巣立っていくんだなと思うと、お母さんという存在は偉大だなと思うのです。そして、そんな愛おしく、大事な時間をぴっぱらで一緒に過ごせるということを、あらためて嬉しく思います。月に2回の乳児ぴっぱらですが、ぴっぱらで、お母さんだけじゃない大人の愛もいっぱい蓄えてくれたらなと思うし、お母さん達も、子どもとの楽しい時間をいっぱい作ってもらえたらと思います。残り3か月、まだまだいっぱい遊びましょうね‼
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もう真冬です。
]]>『野鳥のお話会と巣箱づくり、巣箱かけ』のイベントをやります。
最初、魔女来夢という野鳥が見れるcafeに行き元旭山動物園の高橋さんに野鳥とエゾリスなどの話をしていただき、その後、ぴっぱらの納屋ちゃんで、巣箱づくりをし、パレットヒルズの林に巣箱をかけに行くことになっています。
巣箱づくりが音次郎担当になっています。
参加無料です。
どなたでも参加できます。
小学生対象です
まだ、参加者募集中です。
私に連絡いただいても大丈夫です。
090-5582-4346(おとじろう)
楽しいと思うぞ〜
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今日から大沼公園で行われている森のようちえん全国フォーラムに参加です。朝7時半に雪道の中出発して、6時間半かかり1時間の遅刻で到着です。夜のナイトセッションは、森のようちえんをやっている牧場が会場です。厩舎の中でのフリー分科会!「森のようちえん」という言葉で、こんなにワクワクし、集まって来る人達がいることは、ほんとに心強い限りです
稚内のてるちゃんの分科会に参加しました。前半はてるちゃんのやっている勇知自然学校の紹介。てるちゃんの自然学校は、縁もゆかりもない稚内の内陸部勇知というところに移りすみ、奥さんが養鶏をするところから始まりました。前に勇知を訪ねた時には、人が少ないことの悩みを聞いていました。が、来年の4月から念願だった自主保育を始めるということで、良かったなぁと思いながら聞いていました。後半は「子どもが輝くとは」ということで、ワークショップ形式で考えました。きっかけとして、自分が子どもの時にやった一番おもしろい遊びの絵を書いてみることになりました。私は、裏の雪山に入って、斜面を登っては、ゴロゴロ転げて落ちてくることを繰り返した遊びの絵を描きました。その後7人くらいのグループに分かれそれぞれの絵の発表と自己紹介、そして、その絵から浮かぶキーワードを出来る限りだして分類し、輝くことがなんなのか考えました。
森のようちえん全国フォーラム。午前中は、私とりかこが30年前にその現場を離れた札幌トモエ幼稚園の実践報告の分科会でした。報告者は、20年前にトモエのスタッフになった大和君(写真後列真ん中)です。映像作家のお父さんが作ったというドローンで撮影したダイナミックとしかいいようのない営みと環境を懐かしくもあり、うらやましい想いもありでみていました。この場を支えてきた多くの人達とその年月に熱い想いがわいてきます。
ぴっぱらの人達と行きたいとずっと思っていましたが、トモエでぴっぱらやらせてもらえればいいんだと思いつきました。
果たしてどうなるのでしょう。ワクワクワクワク
鳥取県智頭町の森のようちえんまるたんぼうの運営を担当している西村さんより、県による森のようちえん認証制度創設に至るまでの経緯の紹介を聞きました。そこで働く人達が、安心して生活でき、関わる親たちの森のようちえんとの壁が低くなるように、こういった動きは本当に大切とおもいます。現場で頑張る人と運営で頑張る人が必要なら、私は後者で頑張ろうとスッキリしました。
森のようちえん全国フォーラム。午前中は、私とりかこが30年前にその現場を離れた札幌トモエ幼稚園の実践報告の分科会でした。報告者は、20年前にトモエのスタッフになった大和君(写真後列真ん中)です。映像作家のお父さんが作ったというドローンで撮影したダイナミックとしかいいようのない営みと環境を懐かしくもあり、うらやましい想いもありでみていました。この場を支えてきた多くの人達とその年月に熱い想いがわいてきます。
つねじぃ記(Kのおじいちゃん)
ぴっぱら仕込み
「孫のKを公園に連れて行った。「ぴっぱら仕込み〜」と言いながら遊具に飛びついて行った。当麻の「アスレチック」にKのお父さんと遊びに行った。危険と思われるステージで思わず、お父さんに「Kには無理だから手を貸してあげて」と言った。Kははっきりと言った。「勝手に決めつけないで!」その凜とした口調に「しまった。余計なことを」と後悔しつつ、高所の不安定なロープにしがみつくKの姿を頼もしく見つめていた。文化祭を見に行った。写真を撮りながら、子ども達と大人の行動を観察していた。すぐ観察する習性には困ったものだが、参加している大人は見事なまでに「ぴっぱら精神」が浸透していた。いや、浸透しているなんて失礼な話で、共通した考えの人たちが集まっている、というべきなのだろう。まさにKの言う「ぴっぱら仕込み」5歳の子が「決めつけないで」と発する環境なのだと再確認した。ギターを持った素敵な「じゅんき」が、小さな子たちの欲求を辛抱強く時間をかけて行動に結びつけていくその教育技術は見事なものだ。じゅんき・かわごん・めいの「ぴっぱら3人組」に初めて会った時の好印象は本物だった。「Kちゃん、静かな優しい曲を上手に演奏できたね」「おじいちゃん、あれデタラメなんだよ」「音楽ってデタラメが出発なんだよ。心に浮かんだ気持ちを音で表す。立派な音楽さ。だからKは音楽家」「ふう〜ん」。大勢の大人が花恵の前に並んで握手会に付き合ってくれている様子を見て「Kは何と幸せな子なんだ」と思った瞬間に私の心に何かが起きた。私にとって不運だったのは、あの広場に隠れるところが無かったことだ(※この後つねじぃは号泣した ※ )。理香子さんから「かわごん」の結婚式の写真撮影を頼まれました。私はこの幸せな感謝の思いを結婚式にぶつけることにしました。「おめでとう」の気持ちをこめてシャッターを押す。出来上がった私の写真で感謝の気持ちを表します。お・め・で・と・う」
おとじろう記
文化祭だったなぁ〜
その場の空気と思いつきで何かが始まるのがぴっぱら流。今回も、「えっ、再来週?」と驚きながら知らされた「ぴっぱらまつり」。せっかくなら参加したいと「動く金次郎ゲーム」をすることにしたのが、2日前。前日に「ふたりでなんかやろうか」とりかこに誘われ、当日の朝に『首ぐるぐるマジック』を思い出し、仕掛けを作り、りかこに「これやるよ」と説明したのは、本番の30分前。あわただしく出番を終え、「HとSのお笑いライブ」と、笑っているぴっぱらの人々を見ながら、つくづく思った。「やりたい」と思い「面白い」と思ったことをみんなの前でやっている彼らを、温かく楽しみながら見られる空気ってのは、ひとつの「文化」かもしれないなぁ。そして、ステージ準備で忙しく残念ながら見れなかった『売店』で起きていたいろんな物語にも同じ「文化」が流れていたのだろうなぁ。「文化祭をやりたい」というかえの言葉ではじまった「ぴっぱらまつり」は、まさしく「文化祭だったなぁ」と思いながら感激していたおとじろうでした
りかこ記
蓄えてきた何か
Nちゃんがちょこんと座り、一人で『ケーキ屋さん』の店番をしている。「Nちゃんお買い物しに行きたかったらりかさん店番しようか?」と言うと、しばらく考えて「じゃぁ、いってきま〜す」と出かけて行った。Sは、自分の作った『くじ引き屋さん』で一人店番をしている。くじを引いてハズレが出た私。こそっともう一回やっていいよと目でうながす。「いいの〜」と再度引くと、大当たり‼好みの景品をもらって終了。満足そうなSの顔に心がほっこり。Yはどんぐりを折り紙でくるんだ『あめやさん』の前に座っている。ところが、一生懸命作ったそのあめちゃんを手放したくなくなって、少しだけお店に出し、あとは袋に入ったそれをしっかり持ち歩いていた。見かねた母が「売り切れました」の看板を置いた。前の日に何人かで作った『クルミのクッキーとコーヒー屋さん』Mちゃんと作った『射的やさん』『足湯、手湯やさん』。ライブステージでは『HとSのお笑いステージ』オリジナルの曲を作り、何度かの練習の時にはふざけすぎで、当日どうなるかハラハラしていたが、アンコールも受けながらしっかり二人の世界を披露していた。Kとじゅんきの『花空ライブ』シーンと静まってみんなが聴いた。最後に握手会までやるとは、なんとも心憎いね。お昼ご飯の『カレー屋さん』『じゃぱチーズの焼きチーズ』『お汁粉屋さん』。お母さんたちが必要なところでやるべきことをやってくれている。こどもも大人も、一人一人がやりたいことをやって、全体が静かに流れている。誰かが特別に指示をしなくても、自分の意志で必要だと思うことをやっている。一人のこどもの「やりたい」から始まったこのお祭り。年長さん達と相談し、更にミーティングで小さい人達にも相談すると、じわーっと一人一人がやりたいことを形にしていった。そしてそれを面白がって手助けするお母さん達。毎日ぴっぱらが始まって三年、みんなでいろんな毎日を体験しながら、観て、感じて、その人なりに蓄えてきた何かが溢れ出てきたおまつりまでの日々。それはこれからのぴっぱらを支えてくれる大事な力になるんだろうな。
写真つねじぃ
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お母さん記1
冬へ向けての準備が迫られています。
前から懸念だったピッパラ林のトイレ作りをじゅんきとしました。
本当ならコンポストトイレにしたいのですが、それは来年の楽しみにして、とりあえずテラスの床面を増やし、小屋の屋根からのつながりで、屋根だるきをつけました。
今日は、家の解体で出た廃材を利用した壁貼りをしました。
が、これ結構楽しかったので、明日子供たちがいるときにみんなでやったほうがいいかなと思い、やめました。
本当は、ピッパラ林で切り倒して寝ていたカラマツを柱に使いたかったのですが、2×4材を使ってしまいました。テラスの下だけ、切ったカラマツを土に埋めました。
この下の部分は、来年コンポストトイレにするために使おうと思っています。
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乳児ぴっぱら通信23号より転載
めい記
今回の乳ぴは山ブドウとコクワの実を食べに‼とはいえ、前回の所とはうって変わっての急斜面!おかまいなく進むりかこさんに続いてゆく子ども達。「簡単な道もあるよ〜」と心配する私にかまわず、みんなスタコラ行ってしまいました。残された私とIちゃん親子はゆるゆるとこくわ捜しをすることに。笹をかき分けてのコクワ採り。Iちゃんは自分より大きな笹をかき分けて進みます。始めは「ママ、ママ」と言ってましたが、いくつかコクワをほおばると、一人でズカズカと進んで行きました。母のAちゃんも枝をかき分け手を伸ばし「採れた!」と、まるで宝物を見つけたかのような声。満足して又笹をかき分けながら外へ出た時の解放感がなんともすがすがしかった。ちょうどその頃、急斜面組も帰ってきて、なんだかみんな充実感で一皮むけたようなすっきりした顔。野生の本能をくすぐられた一日でした。
自然の中に入った時のこの感覚が、私は大好きです。なんだか自分の内側から湧き出てくるような好奇心と集中力。いつもは先のことや何が正しいか等頭ばかり動いてしまいますが、この時ばかりは体が、心が勝手に踊り出す。きっと、子ども達の毎日はこんな感じなのでしょう。自分の直感で動いてゆく彼らには、大人が忘れがちな好奇心があり、そこへ向かう集中力を養っているように思います。子ども達には、なるべくストップをかけなくていい環境に連れ出し、そんな力を思う存分出し切ってほしい‼そして、私も自然の力を借りながら、自分の中にしまい込んだエネルギーを思い出してあげようと思いました。
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ので、制作過程を紹介します。
と言っても、実は、このロケットストーブ、夏に、家の中で、煮炊きをするために、『デューパ』で紹介されていた物を作ってみた物です。
お世話になっている自動車やさんからペール缶をもらってきて、その中に直径10?の煙突と15cmの煙突を入れて作りました。
写真を見て、なんとなく作り方を理解してください(できるか)
家の中に設置してみたのですが、想像していたようなゴーっという感じの火力にはならず、煮炊きに使うのは無理でした。
原因はよくわかりません。
家の中に薪ストーブが来たので、排気の煙突を外し、ペール缶の天板をくりぬいて、通常の外で煮炊きができるロケットストーブに改造しました。
今度は快調にその性能を発揮しました。
少量の焚き付けくらいの木でお湯が沸きました。
天板の上には、小学生がアルミホイルにくるんだにんにくを置き、柔らかくなったものをおいしく食べました。
さて、このロケットストーブと焚き付け製造機の逆向きぱっかり君が活躍するのが楽しみです。http://blog.rairu.com/?eid=2245(逆向きぱっかり君の記事)
]]>寒いですが、まだまだ秋をたのしんでます。
]]>と言っても、これは本当はそんな名前ではありません。
持ってきてくれたもりネットの清水君が、名前が決まっていないと言っていたので、勝手につけてみました。
これは、そもそも、お母さんが焚き付けを作っているのを見て、もっと安全に作れないかと子供が発案して作られたものをもりネットの清水君と世良鉄工の三上さんが工夫を重ね作ったものです。
普通は、斧の刃を振り下ろしますが、これは、下に刃が固定されており、上からハンマーで薪をたたいて割るので安全です。
面白いように割れるので、こどもでも安心して使えます。
ただ油断していると、薪がたきつけばっかりになってしまいそうです。
さて、気になるお値段ですが、税込みで9,000円で買えます。刃がダメになったら、刃だけ1,000円で交換できるそうです。興味のある方、詳しいことを知りたい方は、もりねっと里山部の清水君(090-9755-0423)へお問い合わせください。
ちなみに、今のところの正式な名称は『焚き付け製造機』と言います。
午前中は、ぞうさんの仕事をしながら、みんなで名前を考えました。
斧じゃないから「オーNOおのくん」とか、たきつけから「たきつけ警護くん」とか「もじゃもじゃぶひくん」とか訳の分からないものがいっぱい出ましたが、結局、やっぱり『ぱっかりくん』が一番しっくりくるねという話になりました。
ちなみに、名前も募集中だそうです。
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ボブディランの『フォーエバーヤング』という歌を『はじまりの日』というタイトルに訳して出版された絵本があります。
アーサーさんが何故『はじまりの日』と訳したのか。今、ボブディランはどんなことを考えているのか、注文が殺到しているこの絵本の新たな帯につける言葉に苦労した話などをしながら、『言葉』の面白さを話してくれました。
その後は『TPP』『かけつけ警護』の「詐欺」的言葉の手法と、福島原発の『凍土壁』による汚染水対策の「欺瞞」などを2時間半に渡り話をしてくれました。
そして、今日の昼に、アーサーさんはぴっぱらをたずねてくれました。
来たとたんぴっぱら小屋に入り、気が付くと子供たちと話をし、抱き上げたり、肩車したりしながら遊んでくれました。
次の移動をするために早めの食事をしなければいけなかったアーサーさんは、外で私と二人でぴっぱらの昼ご飯を食べていました。一緒に「学校の話」「遊びの話」とかをしていると、いつの間にか、こども達が自分で椅子を持ってきて、みんなで食卓を囲みました。
しばらくして年長のHが「おとじろうこわい話して」というので、「せっかくアーサーさんが来ているから、アーサーさんと話したいんだよね」というとHは、アーサーさんに「こわい話して」と言いました。すると、アーサーさんは「こわい話かい。昨日の夜の話のほうがよっぽど怖いんだけどね」と笑っていました。すると、こども達は口々に「その話聞きたい」と言い出しました。どうなるだろうと見守っていると「あのね、原発が爆発して、恐ろしく危ない危険なものが全部出ちゃって、たまっていて、そこで危険な水がいっぱいできて海に流れ出ちゃってるんだ。それを止めるために、アイスをね、そうガリガリ君みたいなアイスを一杯入れて壁にしようとしたんだけど、アイスだから融けちゃうでしょ。だから、どんどんどんどん危ない水が流れ出ちゃってるんだ」と、一生懸命説明してくれました。子ども達は、ガリガリ君に反応していたし、どこまで伝わったかは定かではありませんが、わかりやすく一生懸命説明してくれたことが、嬉しかったです。
その後も、こども達とアーサーさんとの会話ははずみ、「今度は絵本読みに来ないとだめだな」と言ってくれました。来年の2月北海道の一番寒い−20度の中で遊ぶ子供たちを見に来てくれることになりました。絵本も読んでもらい、お母さん達には「お話」をしてくれると言ってくれました。最後はみんなで記念撮影!いい一日でした。
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「冬タイヤに変えてない」「まだ何の準備もできてない」と大騒ぎですが、今日のぴっぱらの写真を見て癒されてください。
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自動車屋か?と思うくらい最後は二人の手際が良くなりました。
午後は、薪ストーブの柵づくりをしました。
薪ストーブをつけてから、孫が来た時に危なくないように柵をつけないとと考えていました。
最初、ホーマックでFFヒーター用の金属の普通の柵を買ったのですが、置いてみて
「何か違う!」と思い、ネットでいろいろ見ていると、木で作っている人が結構いてこれならできるじゃんと作ってみました。
垂木とツーバイ材の端材を使って3時間ほどでできました。
普段は邪魔なので、孫が来た時だけ取り付けられるように工夫しました。
結構自慢の一品となりました。
さてさて、冬に向けての準備がひとつひとつ整ってゆきます。
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10月8〜9の小学生ぴっぱら秋のお泊まり会の写真
小ぴ通信97号より転載
探検 かわごん記
KとSとの探検。北を目指して歩く。笹薮を歩き、ダニがこわいと倒木をわたり歩く。虫に詳しいKと、植物に詳しいSとの探検は発見がたくさんで面白い。Sが『こっちが黒い林でこっちが白い林』とポツリ。日がはいる林が『白い林』で、暗い林が『黒い林』だという。詩を書くのが好きなSはリズミカルにな言葉で詩をつくるのだと言う。この探検も詩にするのだろうか?...
北へ歩き続けると、壊れた車のような宇宙船のような金属製のものが見えてきた。はじめて歩く道。立ち入り禁止の場所もあり、なにか見てはいけないものなのかというドキドキ感があった。
水を吸い上げる機械のようでまた少し歩くとパレットヒルズに到着した。パレットヒルズの頂上まで歩き、原っぱで大の字で寝転がる。お日様がポカポカ温かい。うっかり寝てしまいそうになるほどだ。大雪山を眺めて食べる弁当も美味しかった。Kは歩きながら、弁当を食べてしまっていたので山葡萄を獲って食べる。1時に出発して、帰ってきたのが15時。なかなかな探検だった。
もう走れなかった じゅんき記
雨、おひさま、どしゃぶり、おひさま… めまぐるしく移り変わるお天気さん。なんて気まぐれな奴だ。小屋のハンモックでまったりしていた仲間たちが、その晴れ間を見計らって、一斉に裏の広場へと駆け出す。「かたき」、「かんけり」、「てんか」 次から次へと、水たまりを蹴とばして暴れ転げる。気分爽快、雨が降り出しても気にならない。最後は残ったメンバーで、サッカーをやった。Rと、Kと、RYと、Hと、KTと… そんな強豪たちVS、こっちはじュんきたった一人。「そんなん勝てるかいっ!」そう言いながらもゲームは意外と接戦、じュんきのリード。今だ、シュート!と、思いきや、見ると相手ゴールの幅がいつのまにか30センチくらいになっている。そのどまんまえに立ちはだかるは、わるそうな笑みを浮かべるK。「ズルイっ!やめろっ!そんなん面白くないぞ」 悪態をつきながらもとにかくシュート、これがまた見事にKの股を抜かして奇跡のゴール。「…いや、今のは面白かった」 みんなで爆笑。
とにもかくにも、最後のサッカーはルールがめちゃめちゃだった。みんなふざけていた。普段なら腹を立てたかもしれない。でも、そうはならなかった。そんなことさえも面白かった。みんなさんざん遊び倒して、集中力もほとほと切れたんだろう。ヨロヨロになって小突き合いながらも、最後までそうやって一緒にじゃれあっていられることが、なんだかうれしかった。あっというまに、帰る時間が来た。もう、走れなかった。
年長のKちゃんの「文化祭やりたい」という一言で準備が始まり、天気にも恵まれ最高に楽しい一日になりました。射的やお風呂屋さん、スポンジで作ったケーキ屋さん、飾り物屋さん、くじ引き屋さん、カレー屋さんなどのお店が並びました。ステージでは、HとSのお笑いグループライブ、Yさんの怖い話、音次郎夫婦の首ぐるぐるマジック、そして最後はKちゃんとじゅんきの『花空ライブ』、オリジナルの曲を含む三曲を披露してくれました。
最後は、Kちゃんとの握手会、ずらーっとみんなが並び、握手したり、抱きしめたり。そして、『ぴっぱらはじまるよ〜の歌』をみんなで歌って終わりました。
こんな空気をみんなで楽しみながら作れるのは、ここで日々積み重ねてきたお母さんや子供たちの生活から生まれた『文化』だよな、と私は感じました。「ぴっぱら祭り」より、「ぴっぱら文化祭」がぴったりするよなと思いました。
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写真は9月26日の乳児ぴっぱら
たまには息抜きしなくちゃね
乳児ぴっぱら通信NO22から転載
めい記...
今回はみんなで山ぶどうを食べに行きました。まさに秋の味覚!すこしすっぱかったけど、みんなパクパクおいしそうに食べてたね♪きのこも沢山あり、みんな見つけては拾っていました。白いふわふわのきのこは触ってみるとなんともいえない柔らかい手触りで気持ち良い。でも、触るとなぜか「わっ!」と驚いちゃう!面白かったね♪ お昼ごはんを終えてからは、お母さん達のお話会。あっという間に時間が過ぎ、まだまだおしゃべりしていたかったですね♪私も母になり、毎日こどもと向き合う日々に、へとへとになりながら「お母さんってすごいな〜」と思う日々です。でも、話を聞きながら、みんな色々なことにぶつかり、悩んだり迷ったりしながら頑張っているんだなと思うと、なんだか元気になれました。また、子ども達の成長や性格も、それぞれなんだと改めて感じました。毎日子どもといると、つい大人目線で他の子と比べたり、こうなってくれたら良いのにと子どもに求めたり……。また、母として何か教えなくてはいけないのではないか、人に迷惑をかけないようにしなくてはと思うこともあります。でも、ぴっぱらで子ども達を見ていると、教えようとしなくても、確実に子ども達は自分のペースでゆっくり日々いろいろなことを学んで成長しているのだと感じます。そんな彼らにできることは、口や手を出すことではなく、彼らの成長をしようとする力を信じてそっと見守ること。同じものをみて、一緒に笑ったり、困ったりすること。焦らずゆっくり、彼らの目線に立って一緒に日々を楽しみたいと改めて思いました。
なんて、わかっていてもできなかったり、自分の調子が悪いとイライラしたりしてしまうのですがね〜。でもそんなことを繰り返しながら、私も息子に鍛えられているのだと思います。また、同じ子育て仲間として、あーだこーだおしゃべりしたいですね♪さぁ!今日もぴっぱらでいっぱい遊ぶぞー!!
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写真は9月26日の乳児ぴっぱら
たまには息抜きしなくちゃね
乳児ぴっぱら通信NO22から転載
めい記...
今回はみんなで山ぶどうを食べに行きました。まさに秋の味覚!すこしすっぱかったけど、みんなパクパクおいしそうに食べてたね♪きのこも沢山あり、みんな見つけては拾っていました。白いふわふわのきのこは触ってみるとなんともいえない柔らかい手触りで気持ち良い。でも、触るとなぜか「わっ!」と驚いちゃう!面白かったね♪ お昼ごはんを終えてからは、お母さん達のお話会。あっという間に時間が過ぎ、まだまだおしゃべりしていたかったですね♪私も母になり、毎日こどもと向き合う日々に、へとへとになりながら「お母さんってすごいな〜」と思う日々です。でも、話を聞きながら、みんな色々なことにぶつかり、悩んだり迷ったりしながら頑張っているんだなと思うと、なんだか元気になれました。また、子ども達の成長や性格も、それぞれなんだと改めて感じました。毎日子どもといると、つい大人目線で他の子と比べたり、こうなってくれたら良いのにと子どもに求めたり……。また、母として何か教えなくてはいけないのではないか、人に迷惑をかけないようにしなくてはと思うこともあります。でも、ぴっぱらで子ども達を見ていると、教えようとしなくても、確実に子ども達は自分のペースでゆっくり日々いろいろなことを学んで成長しているのだと感じます。そんな彼らにできることは、口や手を出すことではなく、彼らの成長をしようとする力を信じてそっと見守ること。同じものをみて、一緒に笑ったり、困ったりすること。焦らずゆっくり、彼らの目線に立って一緒に日々を楽しみたいと改めて思いました。
なんて、わかっていてもできなかったり、自分の調子が悪いとイライラしたりしてしまうのですがね〜。でもそんなことを繰り返しながら、私も息子に鍛えられているのだと思います。また、同じ子育て仲間として、あーだこーだおしゃべりしたいですね♪さぁ!今日もぴっぱらでいっぱい遊ぶぞー!!
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